パフォーマンスと副産物の問題系を軸に、そこから派生したり、そこで束ねられたりする関連領域の研究を進めています。
様々な形式のパフォーマンスを制作・実演しつつ、色々な現象をパフォーマンスという観点から捉えています。
発見したこと、制作したこと、構想したことを、多様なプラットフォームを使って、世界に向けて公開しています。
No Collectiveのメンバーとして音楽(家)、ダンスもどき、お化け屋敷、わらべ歌などを世界各地で制作、
出版プロジェクトAlready Not Yetとして実験的絵本や子供のことわざ集などを出版。
制作のかたわらで実験・電子音楽、影響や癖の理論などについての研究を行なう。
デーヴィッド・チュードアの音楽の研究書Reminded by the Instruments: David Tudor’s Music(オックスフォード大学出版局、2021年)を出版。
東京大学大学院総合文化研究科(表象文化論)+芸術創造連携研究機構准教授。
令和4年度東京大学卓越研究員。
合理的に説明できない関係を説明するために乱用される「影響」というオカルト的な概念の由来を探る考古学的調査。インフルエンティアから、インフルエンザを経由して、インフルエンサーまで。【大学院授業】【令和4年度「東京大学卓越研究者」採択研究】
もっと詳しく「影響」という概念を実践的に研究するプラットフォームとして、国際影響学会の運営と影響学ジャーナルの編纂を行なっています。この出版物では毎号、特定のテーマに「影響」というレンズを通して多角的に焦点を当てていきます。
もっと詳しく「パフォーマンス」という、アートはもちろん、ビジネスでもテクノロジーの分野でも乱用されている概念のルーツを、経験論の系譜、とりわけプラグマティズムのさまざまな展開にたどりながら、今日におけるその実践的有効性を探る。【後期課程授業】
もっと詳しく人間のクセを個人につけられた無意識の振り付けのネットワークとして対象化し、参加者同士の相互観察と反省を通じてダンスを引き算的に発見する試み。【前期課程(文理融合プログラム)授業】
もっと詳しく「実験音楽」の歴史と問題系を振り返りながら、ありえたかもしれない実験音楽の歴史と問題系を二十数年間にわたって構想・空想・妄想しつづける試み。【前期課程(文理融合プログラム)授業】
特設ウェブサイト北海道を拠点にデーヴィッド・チュードアの未完の作品 Island Eye Island Ear の現在における実現可能性を探りつつ、そのような探求が生み出す副作用や副産物にも耳目を傾けていく長期プロジェクト。
もっと詳しく芸術と工学を結びつけた1966年のイベントを、開催直後に計画され放棄された記録本の原稿をもとに、それからの半世紀という時間の流れも考慮に入れつつ、二重化された記録の記録として顧みる。
もっと詳しくコロナ禍において実験音楽を教えるやりきれなさをどうにかするために、ZOOMでしか演奏と視聴ができない音楽を制作する教育的エクササイズのシリーズ。【前期課程(文理融合プログラム)授業】
もっと詳しく電子回路を正常に作動させるために必要なバイアスを拡張するかたちで、音楽パフォーマンスを実現するために介在するさまざまなマテリアルを制約という否定的観点から理論化する試み。
ベルリンにおける10日間のチュードア・フェスティバル、イスタンブールにおけるチュードア・ラボの設立計画など、中井の本を起点として世界各地で進行中のチュードア関連プロジェクトの数々。
もっと詳しくヴァージニアの作曲家と東京の演奏者を隔てる時間と言語の差を調整する「消滅する媒介者」としてふるまいながら、zoom固有の音楽コンサートを遠隔操作で制作していくコラボレーション。
もっと詳しくこれはデーヴィッド・チュードアという名前の音楽家がなにをやったか、そしてそのようなことをどのように、またなぜやったかについての本です。そしてときおり、なにかをやったとき彼が考えていたのかもしれないことについての本でもあります。そのようなことを書くために、チュードアがあとに残したたくさんのマテリアルをあたかも巨大なパズルのピースであるかのように組み合わせていきました。重要なことは、全体像がそのようなプロセスの内側から、ある種の副産物や副作用として立ち上がるということです。だから読んでいない人にむけて手短な概観を述べるときはいつも、なんだかズルをしているよう気持ちになるのです。書いた自分からすると、いちばん重要なことは、個別のパズルをひとつずつ解いていく過程にあり、その帰結として浮かび上がるかもしれない哲学や理論や図式ではありません。その意味で、これはすこしパフォーマンスに似た本かもしれませんが、もしそうだとしたら、デーヴィッド・チュードアという類い稀なパフォーマーの研究書にふさわしいことでしょう。
ザルツブルグの近代美術館で開催されたデーヴィッド・チュードア展のカタログ用に新しいエッセイを書きました。チュードアがケージとの最後のコラボレーション・プロジェクトになったOceanのために手がけたSoundings: Ocean Diary (1994)という作品の詳細な分析を通じて、Reminded by the Instrumentsにおいては議論の周縁にわざと追いやったトピックである、チュードアとケージのあいだの個人的な関係を掘り下げています。作品分析を通じて、ケージの音楽観のチュードアによるかなり特異な翻訳を明らかにしたあと、長期にわたる二人の友人関係を記録する謎めいた一連の証拠が読者に示され、その解読が呼びかけられます。
東京大学の前期過程向け文理融合プログラムで担当している授業の履修生によるZOOM音楽コンサートを行ないました。
1969年12月にデーヴィッド・チュードアは、インドのアーメダバードにある国立デザイン研究所に当国初の電子音楽スタジオを設立しました。その際、アメリカから持ち込んだモーグ・シンセサイザーを使って演奏を行ない、一連の録音を作り出しました。そして10年後の1979年3月にチュードアは、みずからが《Monobird》と名付けた、インドから持ち帰った録音のひとつを入力音源として使った無観客のコンサートをニューヨークのXenonというディスコで行ないました。そのコンサートの録音も、それからずっと未発表のままアーカイブに眠っていました。2017年ごろ、サウンド・アーティストのヤーコブ・キルケゴールが、Xenonコンサートを企画したE.A.T.のジュリー・マーティン宅で79年の録音を発掘しました。同じカセットをゲッティー・センターのチュードア・アーカイブで発掘していた中井が調査したところ、この録音の音源がチュードアのインド滞在にまで遡れることがわかりました。そこで、ジュリーを入れて三人で、この録音をリリースすることを考えはじめました。
キルケゴールが主催するデンマークのTOPOSからリリースされたこのアルバムは、アーメダバードで録音された《Monobird》音源と、その録音を入力音源としたXenonのパフォーマンスの録音を2枚のLPレコードにまとめ、それらの関係と歴史を分析する中井による20ページの長編論考《When David Tudor Went Disco》をセットにしたものです。200枚限定で売り出されましたが、すぐに完売したようです。【リンク】
【soundohmによって2021年度のベスト・リリースに選ばれました】
インドのアーメダバードにある国立デザイン研究所のアーカイブ機関とともに、1960年代から70年代にかけてのインドにおけるE.A.T.の活動を振り返る国際ヴァーチャル連続会議を開催しました。7月30日より隔週の金曜日の夜(19:30 IST=日本時間 23:00)に発表があり、中井は最後の10月1日に登壇しました。
発表はデーヴィッド・チュードアが1969年末にアーメダバードでモーグ・シンセサイザーを用いて制作した奇妙な録音(Monobird)の奇妙な「遍歴(migration)」をたどる話と、そのような自分の研究自体が、もとを辿ればインドにおけるE.A.T.の活動の遠い副産物とみなせるという「話の話(story of the story)」の二段階の構成になっています。
その後、この国際会議のレポートを表象文化論学会のニュースレターに書きました(「アーカイブのゆとり」参照)。MIT出版からこの会議の記録を含む本が近いうちに出版される予定です。
卓越研究員に選ばれたことで、東大新聞の佐竹真由子さんにインタヴューを受けました。
一時間くらいあれこれ話したことが、とてもわかりやすく、みじかくまとめられています。
【リンク】
ベルギーのオルフェウス・インスティトゥートから発行されている新しいオンライン・ジャーナルECHOのフィードバック特集号になにか書いてくれと頼まれたので、とりわけゴードン・ムンマのサイバーソニックスとサイバネティックスにおけるフィードバックに対するアプローチの違いを背景に据えながら、チュードアにおけるフィードバックに対する考えの変遷を辿りつつ、最後はそのような観察をしている自分の立ち位置を、No Collectiveの作品におけるフィードバックの事例を考察することで、論述自体の再帰的運動に巻き込んでいくようなエッセイを書きました。タイトルは「(フィードバックにおける)気づきの遅れ」と「後期作品の演奏」をかけています。
また内容にはあまり関係ないかもしれないですが、今回はジャーナルから、ページ・デザインも著者が自分でやってくれと言われました。すこし面倒だったものの、これまでろくでもないデザイナーに勝手にデザインされることにそのつど反発したり我慢したりしてきた身からするととてもうれしいことで、このさきオンライン・ジャーナルの多くはそのようになっていくような気がしました(でもウェブデザインの経験がない研究者は困りそう)。【リンク】
東京大学の前期過程向け文理融合プログラムで担当している授業の履修生によるZOOM音楽コンサートを行ないました。
たまたまだけど、今回はピアノがかなり演奏できる学生が集まったため、ピアノ曲が多くなりました。
三年間にわたって北海道で展開するサイド・プロジェクトの立ち上げシンポジウムを札幌で行ないました。中井はIsland Eye Island Earについてまとまった話をしたあと、キュレーターの明貫紘子さんの司会で、SIAFラボの小町谷圭さん、北海道大学CoSTEPの朴炫貞さん、そして多摩美の久保田晃弘さんとディスカッションをしました。
東京大学教員の著作を著者自らが語る広場で、Reminded by the Instrumentsについて語りました。
たぶん現時点で日本語で出ている唯一の紹介だと思います。
【リンク】
2021年夏に参加したインド国立デザイン研究所主催の国際連続会議についてのレポートを表象文化論学会のニュースレターに書きました。
【リンク】
イタリア音楽学会の電子音楽研究グループRISMEに呼ばれて、Reminded by the Instruments をめぐるオンライン討論会に参加しました。音楽は楽器によって思い起こされるものだとするホイットマンの詩の一節をタイトルに掲げた本を書き終えてから三年が経ち(300点以上の画像の著作権をクリアするのに時間がかかったため、書き終えてから出版までに相当時間がかかった)、そのあいだに書いた内容をけっこう忘れてしまったことを踏まえて、今回のイベントに向けた(楽器ならぬ?)本の再読によって思い起こされたことを軸に、イタリアの学者の質問に答えるかたちで、書いたことや書かなかったことについてあれこれ話しました。
中井悠が執筆した「Material Bias」というチャプターが含まれた
Material Cultures of Music Notation: New Perspectives on Musical Inscription
がRoutledgeから出版されました。
昨年オックスフォード大学出版局から出版したReminded by the Instrumentsの長編レヴューが、
Computer Music Journal(MIT出版)とチェコ共和国のオンラインジャーナルHis Voiceに掲載されました。
ひとつはEzra J. Teboulによって英語で書かれ、もうひとつはJozef Cseresによってチェコ語で書かれていますが、
どちらもけっこう細かく念入りに分析してくれています。
【You Nakai: Reminded by the Instruments (Volume 45, Issue 1)】
【Intermedium Tudor I】【Intermedium Tudor II】
東京現音計画に呼ばれて、「クリティックス・セレクション」という枠でZOOMUSICコンサートを企画・実演しました。
ベルリンで開催されたCTMフェスティヴァルの一環としてデーヴィッド・チュードアとインドの関係を中心に据えつつ、「カルマ」という概念を軸にしながら、その前日譚たる神智学/人智学など西洋神秘主義とインドとの交錯の歴史を振り返り、その後日譚として生じた一連の副産物を辿るレクチャーを行ないました。
昨年3月に中井がparaというスペースに呼ばれて、「作品」とはなにかを考えるシリーズの一環として「無題(仮)」という題名のレクチャーをおこないました。一年間は公開しないという契約の期限が切れたので公開します。日本では珍しく、デーヴィッド・チュードア研究を中心に据えた発表になっています。
オスロを拠点とするROM for kunst og arkitekturが発行するオンライン・ジャーナルMETODEの最新号に基調論考を書きました。デーヴィッド・チュードアが1974年に構想したものの、彼の生きているうちに実現に至らなかった島を丸ごと楽器化するプロジェクトIsland Eye Island Earの50年越しの実現に向けたここ数年の取り組みを振り返りながら、構想の中核に置かれた「振り返ること=reflection」の意味を北海道鴎島でのリアライゼーションと札幌国際芸術祭におけるVRヴァージョンの作成と絡めて論じています。また「ヴァーチャル・リアリティー」という言葉とチュードアの意外な接点、十七世紀イギリスにおける王立楽団の解体と実験主義の台頭の間にある密かな結びつき、そして副産物の連なりによって辿られる歴史を「小噺」として語り直すことの検討などを、「小噺」の群島として組み立てました。二年前にベルギーのオルフェウス・インスティトゥートのオンライン・ジャーナルECHOに発表した《LATE REALIZATION》の続編的なテクストでもあります。このジャーナルは公募で集めた全ての執筆者が基調論考を踏まえて自分のテクストを書くことになっているので、そちらも出来上がりが楽しみです。【リンク】
オーストリアのグラーツで開催されたSpeculative Sound Synthesis Symposium(思弁的サウンドシンセシス学会)にて中井が9月27日に行なった基調講演の記録映像です。チュードアが晩年に取り組んだ、当時最先端のニューラルネットワークチップを使ったシンセサイザープロジェクトを取り上げながら、一般的なニューラルネットの理解に真っ向から対立するようなチュードアのアプローチや、そこから垣間見える「シンセシス」という操作に絡みつく記憶/忘却の不確定性をある種の「寓話」として浮き彫りにすることで、最近またもや話題になっている人工知能と創造性の問題をすこし斜め上から捉え返すパースペクティブを提示したつもりです。
東京藝術大学にて中井が11月27日に行なった、『調査的感性術:真実の政治における紛争とコモンズ』の翻訳をめぐる報告の記録映像です。この翻訳の出版プロセスにおける出版社とのコンフリクトを振り返りながら、Aestheticsという言葉(固有名)を「感性術」と訳すことに賭けられたパフォーマティブな意味作用を、その原語の翻訳史を「美学」という誤訳を踏まえつつ、十八世紀のバウムガルテンまで遡って検討し、そこから翻って「翻訳」という営み自体の感性術的側面を浮かび上がらせました。