概要:
合理的にメカニズムを説明することができない(主に遠隔で働く)作用を言い表す便利な言葉として、日常会話で多用されるほか、文系理系を問わずさまざまな学術分野においても無意識のうちに濫用されている《影響(influence)》という奇妙な説明原理。その語源を遡ると、星々からの隠された(=occult)力が地上に流出してさまざまな作用を及ぼすという古代からルネサンスにかけての占星術と魔術に行きつきます。中井悠が東京大学で主催する「副産物ラボ(s.e.l.o.u.t.)」では、知覚できない病原体による感染(influenza)から、アルコールなど薬物の摂取による精神の変容(under the influence)、そしてオンライン上の情報発信によって遠隔地の他者の振る舞いを変化させる新種の職業(influencer)にいたるまで、《影響》という多領域に広がる盲点のような説明原理の隠れた作用と流出史を多角的に研究しています。令和四年度「東京大学卓越研究」に「影響概念の流出史」が採択されたことを受けて、一連の《影響学セミナー》をラボのメンバーたちと企画しました。また副産物ラボでは《影響学会》の設立も計画しており、この一連のセミナーはそれに向けた助走の役割もありますので、活動にご関心がある方はぜひご連絡ください。
神成淳司(AI農業、情報科学・慶應義塾大学教授)
+
聞き手:服部美里(農学部農業・資源経済学専修3年)+AI+中井悠
神成淳司氏は、農業を作物、農地、農家が「情報」によって連関するシステムと定義した上で、そのシステムを支える熟練農家の暗黙知をITによって形式知に変換する「AI農業」の研究と実践に携わってきました。ここでの「AI」とは、Artificial Intelligenceではなく、「農業情報学」を意味するAgri-InformaticsないしAgri-InfoScienceの略ですが、これまで長年の鍛錬によって受け継がれてきた農業に関わる数々の技を、テクノロジーを用いてパターンを抽出した上で形式化していく試みには人工知能との接点があることも確かです。じっさい神成氏は「AI」という共通のイニシャルを持つ農業情報学と人工知能の並行性に注意を促してきました。とはいえ、両者には大きな違いもあります。もっとも顕著なのは、AI農業において形式化された知の受け手として想定されているのが機械ではなく、次世代の人間であるということです。そしてこの特性と結びつくかたちで、神成氏の論文や書籍を読むと、農業が「情報システム」であることに加えて「影響システム」でもあること、そして熟練農家の熟練度が単なる機械的な情報処理ではなく、微細で不確定な《影響》をそのつど感知する能力に関わるということが浮かび上がってきます。
また「AI農業」以外に神成氏が携わってこられた研究や活動に関しても、「AI」というイニシャルを軸にすることで、内容と形式にまたがる《影響》の働きを観察することができます。たとえば研究対象として熟練農家の技の次世代への継承に取り組む一方で、神成氏は大学という教育機関(Academic Institution)においてそうした研究活動に関わる技の次世代への継承をみずから実践し、そのプロセスを教師と学生のあいだにおける「模倣(imitation)」や「感染(infection)」という、《影響》の力学に連なるキーワードを用いて言語化されています。また最近研究されている「もどき料理」における、異なる食材を使って類似の食感を作り出すプロセスに対する着目は、異なる人材を使って類似の技を再現可能にするAI農業の研究からの《影響》が感じられる一方で、その中心に据えられる「あたかも」(As If)という問題系からはまたもや「AI」というイニシャルが浮かび上がってきます。これが暴走するパターン認識に基づく牽強付会か、神成氏が「AI」という言葉に託されてきた複数性の《影響》なのかは定かではありませんが、神成氏をお呼びして、農業を軸にした情報学から広がる数々の研究とともに、それらを束ねるように見える「AI」という単一のイニシャルの背後に隠された複合的な《影響》の作用について、AIを含んだ副産物ラボのメンバーとの座談会を行ないます。
【企画担当:服部美里(農学部農業・資源経済学専修3年)+井出明日佳(教養学科・超域文化科学分科表象文化論3年)+中井悠】
2022年10月26日(水)18時40分より
粟生田弓(「リヴォラ」ブランド・マネージャー)
綿貫不二夫(「ときの忘れもの」ギャラリー・ディレクター)
/尾立麗子(「ときの忘れもの」副社長)
「現代版画センター」や「ときの忘れもの」の運営を通じてコレクターの育成に努め、綿密な悉皆調査にもとづく資生堂ギャラリー史の編纂事業を企画なさった綿貫不二夫氏と、写真のオリジナル・プリントに芸術的価値を見出し、日本初の写真アートギャラリー「ツァイト・フォト・サロン」を創始した石原悦郎に接し、そのモノグラフを上梓した粟生田弓氏。両者のお仕事には、アートにおいて未知のマーケット(顧客+ニーズ)を開拓し、そこに独自の「ブランド」を打ち立てる実践と、そのような実践の記録(アーカイブ)をめぐる思考という共鳴が見られます。後者の一例として、粟生田氏の責任編集でまとめられた綿貫氏の長編インタビュー冊子『アーカイブと美術史』(2020年)は、編集方法を明示し、装丁に調査資料を活用するなど、制作プロセスそのものにアーカイブの力学を取り込んだ作品に仕上がっていました。あるいは、アート分野に限ることなく、ファッション・ブランド「リヴォラ」で粟生田氏が現在展開されているブランド・マネージメントという活動との連続性を考えることもできるかもしれません。もともと「brand」は、「燃える」という古英語が、「火であぶった鉄の焼印で所有物に取り消せないしるしをつける」という意味へと転じた言葉であり、所有という行為を蝶番にしながら事物の固有性と複製(代理)可能性が複雑に交差する興味深い概念です。綿貫氏と粟生田氏をお招きし、この「ブランド」という概念を手がかりに、ご自身の活動、そしてお互いの活動における《影響》についてご講演していただきます。その際には、「世代」ないし「継承」をめぐる二つの並行関係が大きな鍵となるでしょう。一つ目は、綿貫氏と、同氏を「ときの忘れもの」の運営面から長らくサポートして来られた尾立麗子氏の関係。そして二つ目は、故・石原悦郎氏と、同氏にかかわる二つの著作をものした元「ツァイト・フォト・サロン」在籍の粟生田氏の関係です。美術・写真作品を取り引きする際の最重要資産である「信用」を担保するブランドは、それを分かち持ち、世代を超えて語り継ぐ現場においてこそ、その核心をあらわにするものかもしれません。
【企画担当:中本憲利(文学部人文学科哲学専修4年)+中井悠】
2022年11月9日(水)15時より
定延利之(言語学者・京都大学教授)
中井悠が東京大学の前期過程向け文理融合プログラムで担当している芸術制作の授業《アルシ・コレオグラフィーズ》では、口癖や思考癖などから寝癖まで人の持つさまざまな「クセ」を、世界とのなんらかの接触を記録する(大抵の場合は無意識の)「振り付け」とみなし、広い意味での「ダンス」の問題として対象化したり、他者に感染させたりする実験を学生と行なってきました。教科書などを使わず進められるワークショップ形式の授業でくりかえし参照してきたテクストが、定延利之氏が『ささやく恋人、りきむレポーター:口の中の文化』などで展開されていた独創的なフィラー論です。その経緯を踏まえ、定延氏をお呼びしてフィラーを中心に、主に発話行為に関わる偏りをテーマに講演をしていただきます。定延氏の議論において、フィラー(あるいはそれに類する発話上の微妙な行為)は発話者が周囲から期待される立場のカテゴリーに応じて、なにが自然かという基準に従って用いられるとされています。そこには社会的な要因が強く作用しており、「キャラ(クター)」や「発話の権利」にフォーカスした近年の研究もそのような個別の場における関係の力学を注意深く見据えることから発展してきたものだと理解できます。その一方で興味深いのは、定延氏がこのような議論を「演技」ないし「パフォーマンス」という問題系にも結びつけていることです。そして発話行為がパフォーマティブな身体運動でもあることに着目すれば、フィラーやどもりなどが持つ、カテゴリー的な区分に還元できない一回性の次元が浮かび上がってきます。とりわけこうした論を単に文章で書き記すのではなく、口頭で人に向かって語るときには、話し相手や聴衆をはじめとする環境からの無数の《影響》にさらされ、そのことによって普段とは異なる言葉遣いやいつもより多い言い淀みなど、その場かぎりの固有性が生み出されます。フィラーや演技について語りつつも、そのような現象を研究対象として分析するだけではなく、みずから実演するという二重性が浮かびあがる講演(公演)をお届けします。
【企画担当:髙草木倫太郎(表象文化論コース修士1年)+中井悠】
2022年11月21日(月)18時40分より
木下千花(映画学・京都大学教授)
上崎千(アーカイブ研究)
「千」は「人」と「一」が組み合わさって出来た会意文字であり、人々があつまって一つの集合をかたちづくる様子を表していると言われます。それは多数性を表現する提喩として無限に向けて開かれつつも(「千々に乱れる」、「千変万化」)、同時に「一つ」のものとしてどこまでも有限で、つねに輪郭づけられてもいます。その意味で「千」という文字は、可算的な多数性の表象であるとも言えるでしょう。本企画には、いずれも「千」をお名前に含む映画学者の木下千花氏とアーキビストの上崎千氏をお招きします。お二方の専門はいずれも、過剰な資料体と対峙してそれらを選り分けて名づける行為と不可分な領域です。アーカイヴ(の形成)は更新され続ける保管庫の目録に資料体の名前を書き込むことで雑多な資料群を取り集めていく営みであり、映画は無数のフレームの継起が引き起こすイメージの諸運動にシーンやシークエンスといった便宜的なまとまりを見出し、それらを作品内はもちろん、映画史的記憶においても相互接続していくことを観者に要求します。そこでお二方には、さまざまなリソース(情報、関係、諸資料)へのアクセシビリティの問題を念頭におきつつ、とりわけ「名前」や「名づけ」が物事の意味形成に与える《影響》について、ご講演していただきます。その際、いわば両者の専門を取り結ぶ共通のモチーフとして『千と千尋の神隠し』(宮崎駿監督、2001年)を中心に据えます。「本当の名前」の喪失、保管と奪還がキャラクターのアイデンティティの保持に重要な役割を果たし、題名自体にも名前の分裂がしるしづけられているこの類い稀なアニメを出発点としながら、「千」という名前と、名前という「千」をめぐる《影響》の作用について、お二人の「千」に語っていただきます。
【企画担当:中本憲利(文学部人文学科哲学専修4年)+中井悠】
2022年12月1日(木)17時より
砂漠さん(インフルエンサー)
エミューちゃん(エミュー)
+
コーディネーター:中井悠+中本憲利(文学部人文学科哲学専修4年)
「インフルエンサー」というインターネット上におけるロールモデルは、影響学の重要な研究対象ですが、国内外でここ数年大量に執筆されている学術研究をいくら読んでもその活動の実態はなかなか見えてきません。おそらく遠巻きに現象を観察するだけではなく、実践に自ら飛び込むようなパフォーマティブなアプローチが必要とされているのでしょう。インターネットにおいて『エミューちゃんと二人暮らし』をはじめとする独創的な企画を多く打ち立て、Twitterフォロワー数8万人、YouTubeチャンネル登録者数14.7万人を抱えつつも、静かな日常を送るために身バレすることを避けている砂漠さんは、インフルエンサーの一般的なイメージに還元されない特異な活動を展開されています。そこで砂漠さんをお呼びして、YouTuberにとって《影響》とはなにか、また都会から離れた山間部におけるエミューちゃんとの生活とヴァーチャルな世界における《影響力》の拡大との関係についての思いに語っていただき、バズるコンテンツをつくるためのさまざまなインフルエンサーの技術をこっそりと教えてもらいます。ただし、大学という学術の場において普段やっていることをただ遠巻きに俯瞰して報告するというのではなく、影響学セミナーへの参加自体をYouTube番組として砂漠さんに企画していただき、エミューちゃんとセミナー参加者で番組となる素材を制作する作業をワークショップとして開催し、後日『エミューちゃんと二人暮らし』上のコンテンツとして公開する予定です。
【企画担当:砂漠さん+中本憲利(文学部人文学科哲学専修4年)+中井悠】
2023年冬
小沢健二(音楽家)
ミュージシャンの小沢健二が母校の東京大学で講義をします。講義は「東大900番講堂講義」というタイトルで、三島由紀夫の討論で有名な駒場キャンパスの900番教室(講堂)にて、来たる9月30日(土)に行われます。新作教科書と音楽演奏のある、「アトラクションのような講義」を予定しています。
講義に応募できる条件は「東大あるいは他大学の学生・院生」か「東大教員・職員」。東大以外の大学の学生・院生も応募可です。
講義は小沢健二が今回のために特別に書いた新作著書『東大900番講堂講義・教科書』を、独特な使い方で使いながら進められます。こちらは受講者が特別に購入できる書籍で(学生割引あり)、受講生には別途、入手方法が連絡されます。また、講義参加者にはドレスコードがあります。会場でチェックはありませんが、思い思いのパーティーに向いた服装で、懐中電灯(充分に充電されたスマホも可)を持ってご来場ください。
この一風変わった授業を主催するのは、東京大学副産物ラボ(中井悠研究室)。ラボが開催している「影響学セミナー」の一環として行なわれます。
また、9月30日の本講義を受講できない一般の方のために、10月2日に東大学外の別会場で、追講義が予定されています。受講希望の方はスケジュールを空けて、情報をお待ちください。
もともと小沢健二がフリッパーズ・ギターの一員として音楽界にメジャーデビューしたのは東大教養学部に在学中の1989年。歌詞の中でも「いちょう並木のセレナーデ」や「アルペジオ(きっと魔法のトンネルの先)」などは、東大キャンパスの風景を彷彿とさせます。
母校に帰ったオザケンが、歴史深い900番講堂でどんな「アトラクションのような講義」を見せるか、どんな新曲・旧曲を表現するのか、どうぞお楽しみに。
申込条件を満たす方は、ぜひ受講申込ページから応募なさってください。応募は7月14日まで。
協賛:東京大学教養学部オルガン委員会
2023年9月30日(土)18時半より
阿部純(メディア文化史・広島経済大学)津口在五(キュレーター・鞆の津ミュージアム)
東京で墓のメディア研究に携わったあと、オザケンの歌に後押しされながら移った広島県尾道でライフスタイルの研究を展開する阿部純氏と、彼女がその地で出会ったパートナーで、福祉施設が運営する美術館のキュレーターとして「ライフスペシフィック」をテーマに数々の革新的な展覧会を手がけてきた津口在五氏。ともに活動の中心に「ライフ」のつく概念を据え置きながら、日々の生活をともにするお二人をお呼びして、それぞれの実践における「人生=暮らし」の影響と、その結節点としての家庭という単位に裏打ちされた墓の問題について語っていただきます。【聞き手:中井悠】
阿部純|1982年生まれ、東京都出身。広島経済大学メディアビジネス学部メディアビジネス学科准教授。東京大学大学院学際情報学府博士課程単位取得退学。専門はメディア文化史。研究対象は、墓に始まり、いまは雑誌メディアを対象としたライフスタイル研究を進める。共著に『現代メディア・イベント論―パブリック・ビューイングからゲーム実況まで』、『文化人とは何か?』など。
津口在五|1976年広島県生まれ。鞆の津ミュージアム キュレーター/生活支援員。放課後等デイサービス勤務を経て、2013年に館の運営母体である社会福祉法人 創樹会へ入職。入所施設で働いたのち、現在も館内での障害者支援に関わりながら展覧会づくりにあたる。企画展として『原子の現場』『世界の集め方』『文体の練習』『かたどりの法則』『ここの出来事』『私物の在処』『きょうの雑貨』『日曜の制作学』など。障害の有無・知名度・プロ/アマを問わず、つくり手の生にねざした独学・自己流の創作的表現に関心あり。
2024年6月4日(火)19時より
前嵩西一馬(文化人類学者・日本大学)
「沖縄」で生まれた者が投げかけられる読解の枠組みを軽やかにズラす実践的研究を繰り広げてきた前嵩西一馬氏をお呼びして、沖縄で死んだ者が納められる墓に投げかけられてきた読解を解きほぐし、他の時空間に結びつける手立てについて論じていただきます。【聞き手:鈴木ミユキ(医療人類学・東京工業大学博士課程)+中井悠】
《古里、郷土、地元、ルーツ(roots→routes)といったことばを縁に、Native anthropologistという「名乗り」の戦略と実践の視点から、沖縄、ニューヨーク、鎌倉、ホノルル、そして東京など複数のクロノトぺ(chronotopes)を経由しつつ「お墓」について皆さんと考えていきます。》
前嵩西一馬|1971年生まれ。コロンビア大学人類学部博士課程修了。文化人類学・沖縄研究。早稲田大学琉球・沖縄研究所客員講師などを経て、現在日本大学法学部教員。主な著書・論文に、『沖縄学入門――空腹の作法』(勝方=稲福恵子と共編著、2010年、昭和堂)、「半島に誌す、地先の記憶、筆先の夢」 『半島論 文学とアートによる叛乱の地勢学』(2018年、響文社)、「風車祭人形考――沖縄における寿齢儀礼カジマヤーの現代的意義」『桜文論叢106巻』(2022年、日本大学法学部)など。
2024年6月19日(水)19時より
朽木量(考古学者・千葉商科大学)
日本屈指の墓石リテラシーを持つ朽木氏に、これまでの研究を踏まえながら新たなメタ考古学的立論を発表していただき、墓の詳細な読解に絡んだ影響の力学を浮かび上がらせていきます。【聞き手:冨田萌衣(考古学・東京大学後期課程)+中井悠】
《日本古代から続く葬制に、中世になると石塔造立という新たな要素が加わる。その際、石塔はアリストテレスのいうデュナミス(可能態)の状態であった。埋葬地と祭祀地を分ける「両墓制」はまさにそうした可能性の一つとして成立する。近代以降には墓そのものが忌避されるもの(リペラー)になっていく。現代になり、土葬が事実上ほぼなくなると、埋葬墓地(埋め墓)はそれまでと異なるエージェンシーを持つようになる。本発表では両墓制概念の歴史的変遷を追いつつ、存在論的視点から墓石の「影響」を考察したい。》
朽木量|1969年生まれ。文化人類学者 千葉商科大学政策情報学部教授、博士(史学)。 専門は「庶民のお墓」。 考古学や民俗学の観点から30年間で国内外2万基以上のお墓を調べている。著書に『墓標の民族学・考古学』(慶應義塾大学出版会,2004年)など。
2024年7月5日(金)19時より